存在しないプラトニックラブ

雑和失礼(ざわしつれい)といいます

紅茶、破片、鍵

昼前に起きた。

例に拠ってと付けるべきだ。大学が休みに入ってから俺はほとんど昼に起きている。

母が朝起きない日は猫が8時過ぎに朝食を求めて鳴いたり上に乗ってきたりするので置き、二度寝しない場合はそれでスパッと起きたりもするのだが今日は母が朝食をやったらしい。

11時半くらいに、テレビの速報でプーチンウクライナ東部での軍事行動を承認したと報じている声で目が覚めた。

まさかと思っていろいろ調べたかったが、バイキングが始まる時間になったのでテレビのチャンネルはバイキングに替えられてしまった。このタイミングで速報も出さずにワリエワの話をずっとしているのだから、ワイドショーを報道番組と思って観るのは間違いなのだと改めて思った。俺はバイキングが大嫌いだが母は毎日観ている。俺はニュースを見ない。夕飯時に移っていれば見るが、普段はTwitterBBCやロイターの日本語アカウントをフォローして流れてくるのを読むくらいなので国内のニュースには疎かった。

愚痴ではないがTwitterでそのような話をすると、全然知らない人からウクライナ情勢のニュースをライブでやっているCS放送のURLが送られて来たので有難く見た。3時くらいまではほとんどウクライナに関するニュースをTwitterとCSで見ていたような気がする。

勉強にも身が入らなかった。勉強に身が入らないのはいつものことだが、いつにも増してだ。

結局夕方になってからのろのろと参考書を読みだした。

夕食前に親父が「戦争になっちゃったね」とか母に話しかけているのが聞こえた。

親父は教養も無ければ頭も悪い癖に議論をしたがるのだった。言い負かすと怒るので、まだ口をきいていた頃は適当にいなしていた。母もまた適当にいなしているらしかった。

夕食が終わって紅茶を入れた。ティーポットからカップにそそぐとき、本を読みながら片手で入れていたので傾けすぎたポットの蓋が外れてカップのふちに当たった。一瞬で欠けたのが分かった。

イギリス式に則れば、紅茶をカップにそそぐときは蓋を押さえないのが正しいらしい。なのでイギリス製のティーポットは蓋にストッパ―が付いているのが多いらしい。

俺のティーポットはイギリス製だがストッパーは付いていない。

欠けたノリタケカップは中学生の時に近所の古道具屋で買ったもので、愛着はあったがずいぶん使ったので逆にあきらめがついた。欠けたのはコーヒーカップだったが、コーヒーと紅茶と両方飲むので兼用のやつが欲しいと思っていたところだ。

目に破片でも入っていやしないかと思ってトイレに入ろうとしたら妹が入っていてお互いに声を出して驚いた。

俺は謝ったが、内心なぜ俺が謝らなければいけないのかと思った。ノックを忘れた俺も悪い。うちのトイレは施錠の有無によって表示が変わらず、そもそも家では俺以外誰も施錠しない。そのため普段は家のトイレに入るときもノックをするのだが、普通は自宅だろうとトイレに入っている者は鍵をかけるべきだと固く信じているからだ。でなければトイレには何のために鍵が付いているのか。

俺はカフェのトイレに入っている時、外からガチャガチャとノブを回されるのも極めて嫌いだった。鍵はかけているわけだから事実上問題はないのだが、公共のトイレに入る時にノックをしないというのは「お前が入ってようが入ってなかろうが関係ない」という侮辱を感じるのだ。いや、そもそも公共のトイレはたいていが施錠されていればそれが外から分かるように赤く表示される機能がついているのだ。俺が入っているときは当然鍵をかけているわけで、すなわちノブ上の表示が赤くなっているのだからそこを見れば絶対に使用中だということが分かるのである。ノックどころかそれを確認する程度のことすらしないでトイレに突入しようとしてくる奴の気が知れない。

ノックをしたのにドアを開けてみたら中にジジイが入っていたこともあった。それに至っては何なのだ。俺はどうすればいいというのか。ジジイがしたことはノックと鍵というトイレ使用者保護文化に対する挑戦である。その時は、ジジイが出るのを待ってから俺がトイレに入っているとき偶然にも重ねてノブをガチャガチャとやられた。出てみると別のジジイが居た。殺そうかと思った。

俺が妹に遭遇してすぐにドアを閉めた後、瞬間的なパニックだったので一瞬トイレの前にとどまったのだが、それでも妹が鍵をかけることはなかった。

合理的に考えれば今妹と遭遇したことで妹が使用中であることを俺は認識したのだから鍵をかける必要はないのだが、それでも俺は理解できない。

夜、またトイレに入ろうとドアの前に立ったら中から気配を察した妹が「はいってるよ」と教えてくれた。またしても鍵はかかっていなかったのだ。

俺からすれば考えられない事態である。わざわざ入ろうとする者の足音を警戒して適宜声をかけるという手間を取るくらいなら絶対に鍵をかけた方が確実だし早いからだ。そこまでして鍵を掛けない主義を貫く合理的な理由が全く分からない。母も鍵を掛けない主義で、親父に至ってはドアも閉めない。なので民主的に考えればおかしいのは俺の方ということになる。

頭のおかしい父親のいる家庭で育つと、こういうとき「自分は正しいのかおかしいのか」という判断が出来ないので困る。