存在しないプラトニックラブ

雑和失礼(ざわしつれい)といいます

父滅の刃 壱〜立志編〜

 幼稚園か小学低学年くらいの頃、親父と地元の祭りに行った。

 プラスチックの宝石みたいなのが金魚掬い用のプラ船に沢山広げられてるのをスコップで一回すくって持ち帰れるみたいな出店に行った。

 俺は車の形をした宝石と、少し離れた場所にあったシンプルな透明の宝石がどうしても同時に欲しかった。

 俺はスコップ一回で「車」と「透明」の2つをすくい取るべく、「車」を左手で直接つまんで「透明」の近くに移動させようと思い、ずっと手に持っていた(多分反則だけど的屋のおっさんは何も言わなかった)。


 俺が「車」を手に握りしめたまま「透明」を探している様子を見て、親父は俺が「車」をこっそりポケットに入れて万引きしようとしていると勘違いしたらしく、俺の左手を掴んで揺さぶりながら破茶滅茶に怒鳴りつけた。


俺は万引きなんかする気は毛頭なかったのに勘違いされたことが悔しくて、絶対に離すまいとばかりに余計ギッチギチに握りしめた。それが逆に親父の確信を強めたんだと思う。


 あまりの勢いに引き気味になった的屋のおっさんが「まあまあ」と宥めてくれたおかげで、結果として俺は「車」と「透明」の二つを手に入れられたわけだが嬉しくもなんともなかった。


 その時はショックが強すぎて言語化できなかったが、家に帰ってから親父に「僕は盗もうとしてたわけじゃない」と散々話したが一切聞き入れてもらえなかった。


 数年後、中学生くらいになってから親父と話をしてた時、「俺はお前が正直な人間になるように育ててきた、祭りでお前が盗みを働こうとした時も俺が正しい道に導いた」という旨のことを言うので、俺は「でも、あの時俺は本当に盗むつもりなかったんだ」と言った。


 親父は「仮にそうだとしても、誤解されるような格好をしていたお前が悪い」と言った。


 それに前後した中1くらいの頃、保険の授業で「タバコは主流煙よりフィルターを通さない副流煙の方が有害」と教わった俺は親父にそれを話した。

親父は絶対にそんなはずがないと言い、俺が論拠として保険の教科書まで見せても「ならその教科書が間違ってるし教師は嘘を教えてる」とまで言い切った。


 親父はよく自分を「理屈っぽい」と言っているが俺にはそうは思えない。相手の示したエビデンスを無根拠に否定してまで自分の考えを曲げない親父は、俺が見る限り感情の男であってロジカルな印象とは真逆だった。


 親父は稼ぎが少ない。

 元々は祖父の会社で社員をやっていたが、あるきっかけで退社してからはフリーのクリエイティブ・ディレクター(自称)として細々と広告の仕事をやっている。


 当然収入は少ないので、うちの生活費や俺の学費は祖父の収入から全て出してもらっていた。

 幸い祖父は資産家だったので俺と妹は何不自由なく暮らし、進学先にも困らなかった。


 俺の分析では、親父は自分が家に金を入れていないという負い目を常に感じるあまり、息子である俺に対して過剰に「父親」を演出しようとしていたように思う。


 小さい頃、旅行先で遊んだおもちゃを片付けずに寝ようとすれば全てめちゃくちゃに蹴飛ばされ、家族で出かけたレストランでコートを脱げと言われたとき寒いからと口答えしたらビンタされた。連れていかれた居酒屋でジュースをこぼしてもビンタされた(この時はめちゃくちゃ怒られただけかもしれない。記憶が曖昧)。


 小学高学年くらいになると親父はよく無意味な説教をした。「我が家の長男として」「男として」みたいな抽象的な内容だった。


 小さい頃に叱られるのは「僕が鈍臭いから、だらしないから」と思っていたが、その歳にもなると急に始まる脈絡のない説教に何の意味があるのかと違和感を感じ始め、それが顔に出るようになってしまった。


 一度、夜眠い時に親父の部屋で謎の説教をされた。親父は俺が眠い顔をしているのを見て「反抗的な目」と感じたらしく、いくら眠いだけだと否定しても「俺にはわかる、お前は俺に反抗している」と突っかかってきた。


 中学になってからも説教は続いた。

 家族でテレビを見た後、母と妹が寝室に行くと急に説教が始まった。

 俺は正直うんざりしていて、相槌を打つこともせず、なぜ急にそんな話を始めるのか?という違和感のあまり眉をひそめてしまった。

 返事もせずにずっと眉をひそめてる俺に痺れを切らした親父は急に「お前なんかに俺が超えられると思ってるのか」みたいなことを怒鳴りながら掴みかかってきた。


 俺はもう意味がわからず、とにかくこのキショい男をなんとかしたいと思って掴み合いになったが腕力では敵わなかった。

 ドタバタ音を聞きつけて母が起きてきた。その夜はどうやって解散したのか本当に覚えてない。

 俺は中高一貫の男子校に通っていたのだが、中三の秋、「高校からは別の学校に行かせてほしい」と親に相談した。

 いじめっ子といじめられっ子の両方と仲が良かったせいで完全な板挟みになり、耐えられなくなって高校から人間関係を一新したいと思ったのだった。

 そうなると本来払わなくてよかったはずの入学金を払わなければいけなくなったり、塾代や受験料もかかる。家の電気代と水道代しか払ってない親父がそんなもん払えるわけがなかった。

 そうすると当然、祖父に出してもらうことになる。親父はプライド的にそれが嫌だったのだと思う。それはもうめちゃめちゃに大反対してきた。

 ついには「俺だったら逃げ出さずに(いじめられている)その子を守るけどね」と言い出した。俺は、その子に会ったこともなければいじめの現場(先天的特徴に対する差別型のいじめだったので『いじめ』と表現するのが適切かはわからないが)を見たこともなく、俺がどれだけ苦労して考えて限界になったのかを知らない親父にそんな適当な事を言われたのがあまりに悔しかった。今思えば、それをきっかけに俺は親父に対して決定的な壁を作ったのではないかと思う。

 

 その他にもいろいろあった。

 俺の部屋に隣接するリビングで夜中にテレビを見ている親父に「音量を下げてくれ」と言ったら「人を動かす前に、まず自分がうるさく感じない工夫をするのが先だよね」と言われ、頭にきたので「そうだねごめんね」と感じ悪く言って部屋に帰ったら部屋の中まで追いかけてきて「親の言うことを聞けないようではまともな大人になれない」みたいな説教を延々とされたりなど。記憶に残ってるだけでも書き出そうとすればキリがない。


 親父は酒癖が悪かった。多分説教が始まる時も酒の臭いがしていた。


 俺が高校2年か3年くらいの頃、妹が作文のコンクールで入賞した。ちょっとした授賞式があり、家族全員で参加した。何人か記者が来るくらいのイベントだった。


 その日はちょうど季節的に今くらいで、授賞式会場が父方の祖母の家に近かったので報告がてら新年の挨拶をしようと祖母の家に行った。


 電車だったので親父はかなり飲み、帰る頃にはまっすぐ歩けない状態になっていた。

 俺と母はもうほとほとうんざりしていたので、帰りの駅や電車内で泥酔した親父をかなり邪険に扱ってしまった。


 次第に親父の機嫌が悪くなり、隣に座っている俺に対して「お前は俺を憎んでるんじゃないのか」「尊敬してないんだろう」みたいなことを言いながら絡んできた。

 俺もイライラして「そんなだらしない姿を見せられたら尊敬なんかできない」と言ってしまった。親父はキレて大暴れした。


 JRの駅で降り、ホームでは危険なので妹が肩を貸して親父を歩かせていたが、悪態をつきながらヘロヘロ歩く親父が怖くなって妹が泣き出したので俺が代わりに肩を貸した。


 ホームから改札に降りる階段に差し掛かった時、親父はさらに暴れた。「馬鹿にしやがってどいつもこいつも!!!ふざけんな!!!」と叫び始めたので俺は堪忍袋の尾が切れた。


 親父の胸ぐらを掴んで手すりに押しつけて、死ね!!!と怒鳴りつけた。親父はソ連の国旗くらい充血した涙目で俺を睨みつけていた。

 しばらく怒鳴りつけ、気力が抜けたので俺は父を離して階段を降り始めた。


 妹は号泣した。母も泣いていた。俺は祖母の顔が浮かんできて泣けてきた。祖母の息子に死ねと叫んでしまったことが申し訳なかった。

 親父はヘラヘラしながら妹にちょっかいをかけていた。

 

 その日はJRの駅からタクシーで帰った。家族全員泣いているし礼装なので葬式の帰りだと思われたんじゃないかと思う。


 家に帰ってからは怒鳴り合いになった。

 俺は別室に逃げてしまった。

 妹は仲裁しようとしたのか、怒鳴り合いの現場であるリビングに両親と一緒に居たが、小学生の娘に何ができるものでもなく、パニックで過呼吸を起こしてしまった。

 過呼吸で震えながら泣き続ける妹に、親父は「うるさい!!!!!」と怒鳴りつけた。

 母がもう別れると言ったのでマジで別れてくれと思ったが、結局妹のことを考えると片親にするのが憚られるとの理由で離婚はしなかった。


 その事件から数日間、母が親父にしばらく帰って来ないでくれと言ったので親父は3日ほど外泊した。

 その後、俺に謝罪の手紙を書いてよこした。


 「俺はお前を育てるのに気合を入れすぎて逆に傷つけてしまっていたらしい、申し訳ない。できるならもう一度お前の父親になるチャンスをくれ」みたいな内容だったと思う。手紙はどっかいったので確認できない。


 俺はまあ反省したならと思ってそれで良しとした。

 それでしばらくは何もなかったが、その一年後くらいに家族でデカめの旅行に行った帰り、空港で予定が狂ったことにイライラし始めた親父と喧嘩になった。

 喧嘩の末、親父は「俺は手紙まで書いて渡したのに、お前は実の親に死ねといったことを謝りもしない」と責めてきた。


 どうやら親父は俺が返事のお手紙を書いてくれると思っていたらしい。

 そんな流れの中で言いたくはなかったが、親父に死ねといったことについては俺も嫌な思い出だったのでそれについては謝った。


 親父は「実の親に死ねと言ったことに対して謝るのは当たり前であって、お前は本気で悪いと思ってない」みたいなことを言ってきたような気がする。キレすぎて記憶が曖昧になっている。とにかくその件で、親父は心底反省して手紙をよこしたんじゃなく「このゴタゴタを終わらせるため」に「譲歩した」のだということは身に染みてわかった。


 その後、親父は丸くなった。

 丸くなったとは言っても本来のパーソナリティからくる「自分の間違いを認めることができない」「自分が否定されると爆発的に怒る」といった点は意識的に変えようと思ってもできないようで(そもそも変える気がないのかもしれない)、大喧嘩とまではいかないいざこざはしょっちゅう起こった。

 たとえば同居している母方の祖母が車を買い替えた時、親父が「保険の話をきちんと聞いておいたほうがいい」と言うので納車日に俺がきっちり立ち会って担当の人から話を聞き、その日の夜に親父が「保険は大丈夫なのか」と聞くので「〇〇生命の最上グレードに入っているから大丈夫」と話して証明書の控えを見せた。親父は酔っていたためか証明書の内容が理解できなかったらしく、「こんな内容の保険はない」といって騒ぎ出した。俺がブチギレるのを必死に抑えて親切丁寧に説明したらようやく理解できたようで「なるほど…。じゃ、OK!」と言って謝りもせず部屋に帰っていった。

 そんなようなことが年に4回くらい起きた。

 親父は酔うと、人を小馬鹿にしたような喋り方をする。保険の時に話した内容で言うと「まずね、こんな、お前が言うみたいな、何から何までぜ〜んぶ保険がおりま〜すなんていう保険はありませ〜ん!大丈夫?」などと、半笑いで青筋を立てながらヘラヘラ喋るのである。

 

 まあそれはそれとして、俺に死ねと言われた事件以降、前後不覚になるほど酔うということは無くなったし、俺に対して過剰に説教や八つ当たりをしてくることも少なくはなっていた。

 しかしその代わり、事あるごとに俺と「話」をしようとしてくるようになった。

 つまり親父の中にはずっと息子に反発されたというしこりが残っていて、それを大人になった俺が「謝って」解消してくれるはずだという期待の押し付けだった。

 

 親父は「お前はまだ俺を憎んでる」「お前とのわだかまりを無くしたい」という旨を時々言う。


 俺は別にもう全然親父を憎んだりはしてなくて、20年間一緒に生活してきたわけだから当然愛している。遊んでもらった記憶だってもちろんある。

 もともと親父の親父(俺の父方の祖父)が酒浸りギャンブル漬けのカスだったらしく、よく家に借金取りが訪ねてきていたという話も聞いていたので、「母と妹を俺が守らなければ」という環境の中で育ったからこそ彼の「絶対に自分の間違いを認めない」みたいな我の強さが形成されたんじゃないか、という俺なりの分析もある。

 つまり、ただ親父という人間を包括的に認識した結果、別に理想的な人間ではないし尊敬できるところが多いわけでもないけど悪い人間ではないので「父親」として受容している、という認識なわけだが、親父はこの期に及んで俺に尊敬されたいし、親父の中の「父親」の理想像として自分を見てもらいたいようだった。


 つまり「あの時反発してごめん、責めてごめん」という言葉が欲しいのかもしれない。結局のところ自分が悪いとは微塵も思ってないのかもしれない。


 親父は「お前が子供の頃、お前を愛するあまり厳しく躾けようとして、愛情の裏返しで辛く当たってしまった。それがお前は許せないんだろう。申し訳なく思うが、決してお前を虐めたかったわけじゃない」と言う。


 俺は親父が、今までの自分の失態や汚点を美談にしてまとめようとしているように感じる。

 厳しくも優しく、論理的で尊敬できるという「親父にとっての理想の父親像」というエゴの押し付けを、「息子を愛するあまり厳しく当たってしまった」なんていう単純な美談に変換して決着させようとしているように感じる。


 息子が盗みを働こうとしていると思って馬鹿ほど叱り飛ばしたら勘違いだったけど俺は間違いを認めたくないので謝りませんでした、稼ぎが少ないからせめて父親らしいことがしたくて何度も何度も説教しました、父親として君臨したいから何かにつけてビンタしました、酔っ払って家族に当たり散らしたら息子にキレられました、という「自分に都合の悪い実態」は認めたくないが、それでも離れてしまった息子の心を取り戻してまた自分の思う理想の「父親」として尊敬してもらいたいあまり、「息子のことを想うあまり躾に厳しくなってしまい、恨まれた」という、単純で、なんなら「親からの愛を理解していない息子」に責任を押し付けているかのような認識に自分の中ですり替えてしまったのではないかと思う。


 今までの経験から思うに、親父はそういった自分に都合のよくなるような自己認識の書き換えをガチでやってのけるタイプなのでその可能性は十分ある。


 俺はこの前20歳になり、親父に「今度一緒に駅前のバーに行こう」と誘われた。

 俺はバーでまた「話をしよう」になるに決まってるので心底嫌だと思った。

 だいたい酒のせいで何度となく家庭をぶっ壊しそうになってるくせに今だにケロッとした顔で夕食にストゼロを持ってくるような奴が間違っても息子を酒の席に誘うなよとも思った。

(親父は多分軽〜中度のアルコール依存症で、仕事中だろうがリビングにいる時だろうが、家にいる時は必ず水割りの入った水筒を持ち歩いてちびちび飲んでいる。あと室内でキングサイズのピースを吸うので常に凄い臭いをさせてるし、その臭いを消そうとして部屋の中で線香まで焚くのでタバコと線香の混ざった臭いが俺の部屋まで昇ってくる)


 二十歳になった月、親父と2人きりになった時にまた例の話になった。

 自分は早死にするだろうし、息子としがらみを残したまま死にたくないらしい。

 例によって「手紙の返事」の話をされたので、もう俺は本当に心底いい加減決着をつけたいと思い、もう俺は親父を恨んだりしてないし、「はい、今許したのでもう今後は健全な親子関係です」という明確な線引きを求めるのも違うんじゃないか、ということを言った。

 

 それで一瞬納得したような態度を示した親父だったが、「俺はあの時の手紙で100パーセント悪いと思って謝ったわけじゃなくて、だから今度バーに行った時にお前から何かの形で返事があるんじゃないかと思ってる」と言った。


 俺はなんて女々しくてみっともない奴だろうと思った。今俺は「手紙の返事を求めてるなら無駄だ」ということを暗に伝えたばかりなのに、この期に及んでも聞こえなかったかのようなフリをして俺に「お前も謝れ」と言ってきている。

 

 俺はまた親父を一段下に見ることにせざるをえないようだった。 

 

 今度バーに行った時、涙目にでもなって、本当にしんみりした顔をしながら本心であるかのように「ずっと謝りたかった」「俺が親父からの愛の鞭を理解できてなかった」という話でもしてやれば俺はきっと、この心底くだらない呪縛から解放されるのだと思う。 

 しかしそれは半面、親父に対する決別でもある。正面からの相互理解を放棄して演技をし、本心にもない事を言って親父を納得させるという行為は、今後お前には一切の本心を明かしませんよという意思表明でもあるはずだ。

 俺は最後の試みとして、親父に今まで思っていた事を全て話そうかとも思う。バー店内という環境上、親父は暴れられないだろう。俺の予想では「そうか…やっぱり分かってもらえないか…悲しいな…」とか言って涙目で席を立って先に帰るんじゃないかと思う。家に帰ってから暴れるか、もしかすると自室で自殺する可能性まで考えられる。

 まあでも、もし親父が自殺したとしても、それは最後の最後に俺が正面から親父に向き合った結果なのだから、一つの結末として俺は咀嚼できるのではないか、なんて事も考えたりする。

 何にせよもう俺は終わらせたいのだ。